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公開日: 地門地象

~富山と真宗~

食い物ばかりじゃ・・・ねぇ?たまには甘い話ではなくまじめな話を。

前の日記でも書いたが、

11月1、2日の横尾長願寺の報恩講でここ4年ほど

住職の御好意により法話をさせていただいている。

それの元ネタを少し。

故竹中智秀先生の影響は強く、講義録ではあきたらず

家の書棚探すと、とある本があった。

f:id:jyoukouji:20071106220338j:image

真宗王国―富山の仏教 (1974年)

真宗王国―富山の仏教 (1974年)

関連URL

http://anatamo.sakura.ne.jp/sub5.html

http://homepage2.nifty.com/sirazu/butu2.htm

本書P143より

「親鷲は、建永2年(1207)3月16日、都を出て同月28日配所の越後国府に到着。

この配流の道すがら各地で教義を広めたという伝承が・県下各地に残っている。

氷見市臼ケ峯のさかき 、富山市針原の腰掛け松、黒部市三日市の二本柿・朝日町横尾の腰掛け石など、

親鸞にちなんだ伝承があり、この時、親鷲の教化を受けて浄土真宗に帰依したという寺伝も少なくない。

越中における浄土真宗門徒の存在を示す確実な史料は、延文5年(1360)の『存覚袖日記』である。

これには越後の尼、教浄・浄円が存覚に乞うて、教浄は木尊に名前を書いてもらい、

浄円はその本尊に「越中国水橋門徒・越後国柿崎住人尼浄円本尊也」という20字の書き入れをしてもらったと

いうことが記されている。このことから、南北朝時代に水橋門徒と呼ばれる真宗門徒が、

親鸞の配流地越後国府よりさらに北方の、柿崎にまで広がっていった形跡でわかる。

それには諸国の津々浦々をめぐるワタリと呼ばれる水運業者が、真宗弘法に大きな役割を果たした。

水橋と柿崎は200キ口近く離れているが、両者はワタリを通じて結ばれていたということは充分考えられる。」

(本書P162より)

親鷲が北陸に流罪にならなかったなら、違った形の親鷲が生まれていたんではないかという考えがあるんです。

日蓮宗の開祖日蓮は、戦闘的だったのですが佐渡か帰ったら山へ篭ってしまった。

そして手紙なども表現がすっかり変わってしまったという事実があります。

風土が人間を育てるという大きな問題がそこに浮き彫りにされる。

富山は、非常に根強い文化の伝承形態がある。それは真宗が育てたんではないかというけれども、

私はむしろ逆に、そういう素地があったところに真宗、親鸞が流罪されてきて、

その県民性と一つになったんじゃないか、そういうふうに感ずるんです。

厳しい風土と親鷺の諦観(本書P65より)

風土のことでみますと、富山県の人間が一番親賛聖人の和讃の意味なんかわかると思うんです。

海を見たり山を見たりして作られた和讃がいっばいあります。

「無明煩悩しげくして

塵数のごとく遍満す

愛憎違順することは

高峯岳山にことならず」

「高峯岳山にことならず」というのは関西では実感できません。

やっばり正信偈あたりでも、海という字は何回も使ってあります。

宗祖が実際に日本海の荒海をごらんになったということですね。

宇治の山の中で生まれた親鷺があれだけ海というものを出している。

親鷺の諦観がああいう言葉を生んだんで、その諦観を持たせたのが越後でしょうか。

越中から越後にかけての厳しい風土でしょうね。

例えば親饗が越後へ流罪にならなくて、法然といっしょに讃岐へ行っていたならば、

あの阿波踊りの世界の真宗だった?

覚如上人も実際に海を見なければ、ああいう『御伝紗』の海のような絵は出んと言われますね。

やっばり自分で歩いて行ったんですね。

居多ヶ浜へ赴くまでの張りつめた心で見られた映像が焼きっいているわけですね。

越後の配所の山なんかこういう山ではないんですよ。富山県だけなんです。高峯岳山にあたるのは。

いろいろな布教のあり方があると思うんですが、親鷺と同時代の宗祖とされる方々の態度をみますと、

例えば禅宗の道元禅師あたりはすばらしい文章を書いた人で、あの方は文筆でもって法を説いたといえますね。

それから日蓮上人は弁舌の人だった。

辻説法なんかのことを聞くと、罵倒されながらも、法華一乗の法を説いていくという熱心さがあった。

しかし親鷲はどうかというと、別に文筆があざやかであったとも日蓮のような弁舌家であったとも

伝えられていない。どっちかと言えば座談の人であった。農家で老婆と膝を突き合わせて、

指導者ではなく悩める人として接していた。あるいはまた、海川に網を引く人達とも語り合っていたという。

それが彼の伝道者としての姿でなかったかと思う時に、

やっばり、親鸞という人から流れて出る人間性というか、そういうものが親鷲をして人を引きつけた。」

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今年、横尾の越坂邦夫さんから横尾村の横尾姓の話を聞いた。

原文URL

http://www.kubikino.in/sekibutu-gyouji050429.htm

親鸞の小黒女房ゆかりの専敬寺(浄土真宗)がある上越市安塚区(旧東頸城郡安塚町)地域には

江戸時代越中、新川郡横尾村から来て移住した横尾性がいた。

横尾義智氏は旧小黒村の村政につくして現在は記念館がある。

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