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公開日: 地門地象

~餅つき~

先日朝、門徒さんが「餅つき」するから子供連れてこられとのこと。

はて?何か祝い事あったかな思いながら行くと

すでにうすの中には「こぶもち(昆布餅)」ができていた。

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ここの門徒さん宅では年に2~3回はつくらしい。

個人的には保育所くらいしか記憶がない。

今でも多くの寺で餅はつく・・・がさすがに杵と臼は少ない。

ウチの寺も昔あった。正月の鏡餅用のまげ輪も30ほどあって

寺男や寺女(お手伝いさん。今でいうメイド・・かなぁ)が

15人ほどいた100年前は掛け声をかけながらついてたんだろうと

思う。今は残念ながら当時をしのぶ物はない。

少しみせてもらうと見事な2人のつきと返しが静かな朝に

調子よく聞こえた・・・。

*コメントにより追記

昆布餅はコチラ↓や他の富山県内のお店でも買うことができます。

「昆布餅」でも御検索下さい。

http://www.sasaraya-kakibei.com/products/otokuyou/kinetsukimochi.html

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Comment

  1. かくま@いばらき より:

    更新されていると喜んで読んでしまいます。
    さて、昆布餅とはどんなものでしょうか?
    両親とも富山出身ですが記憶がありません。豆餅なら分かりますが、当地には豆餅を作る習慣はないようで、以前はずいぶん珍しがられました。大福餅も同様で、この辺の方は大福はお店で買うものと思っておられるようです。
    さて、先日、近所でおじいさんが亡くなられました。富山(砺波地方出身)からこの地にこられて今年で60年になります。お寺さんは大谷派の方ですが、お清めの話になり、地域に根付いた風習を改めるのは大変だとおっしゃってました。真宗以外の方はもちろん、門徒の方でも気にする人がいますからね。それでも、集落の葬儀をほとんど手がけている葬儀屋さんはだいぶ理解されたようで、清め塩は別途用意するようになりました。
    ところで、忌中払いとはいわゆる精進落としと理解してよろしいのでしょうか?。忌中払いだから清めの一種で、門徒の行事としてはおかしいのではと、飲みながらの話となりました。こちらのお寺さんに聞くべき事でしょうが、飲むうちにわすれてこれを書いてて思い出したわけです。
    こちらは暖かい雨が降る一日でした。長くなりましたがご自愛を。

  2. jyoukouji より:

    県内はほとんどの葬儀屋さんもようやく神式と仏式が昔は混ざっていたことを学習され「清めの塩」はまず見なくなりました。確かに20年前はまだいいかげんでしたね。さて精進落としは、昔、四十九日まで肉食を断って、菜食にして喪に服していたのを、忌明けのときに終えることを意味していました。中陰以降の宴席は忌中払い、(中陰)壇払い、お斎、直会(神道)などとも呼ばれます。ですから最近は清めの意味はないわけですから精進料理でなくても構いません。ですから今は葬儀でお世話になった人に感謝することをかねて、喪主は、葬儀が無事に終了したことに対するお礼を述べるためにします。葬儀後ならば法要や納骨日程や内容について、49日の時ならば1周忌やその他のことについて話す相談する良い機会です。門徒の行事という強制力はありません。しかしなされたほうがいいとは個人的に思います。

  3. かくま@いばらき より:

    ご教示ありがとうございました。富山でも昆習があったんですね。数ヶ月前でしたか、京都の某市では「清めの塩は死者に対する冒涜だから廃止を」と市役所が呼びかけたところえらい騒ぎになったとか。
    長年の習慣とはいえおかしいと思う人もあれば、行政が口出すことではないという人もいますし、あのあとどうなったでしょうか。死者の尊厳を改めて問い直すための一石にはなったと思います。
    49日間の肉断ちはつらいですね。
    家の母も以前は親兄弟の命日だけは精進ものしか食べませんでしたが、いまは食べてます。
    自分では作らなくなったからでしょう。

  4. 久留米の俺 より:

    御二人の問答読ませていただきました。答えに、清め塩の意味と精進の意味が、混同された内容として受け止められる部分があります。
    清めの意味での精進料理は必要ないと言うことでしょうか?それとも、仏事では必ずしも精進料理でなくてよろしいと言うことでしょうか?
    この内容はとても大事な部分であります。

  5. jyoukouji より:

    久留米の俺殿。お、ごぶさたです。清めの意味がないのにいわゆる精進料理をあえて作る必要はないでしょう。ただ、報恩としての会食はあってもいいとは思います。私は祖母の49日はあえて肉・魚食べないでみましたがまったく意味がないけれども肉体的変化として感じることができました。しかし宗祖は文化的精進は言われたでしょうか?竹中先生は『ただ言いたいのはどっちが大事なのか。これが蓮如上人の、 仏法を主とし、世間を客人とせよ。(『蓮如上人御一代記聞書』ということです。世間の中で生きなければならないわけですが、世間を主とするのではないんです。仏法を主として世間の中で生きるんだと。それがラッキョの皮みたいに、剥いても何も無かったと。そうなると、仏法を第一義としていないという事なんです。そういう問題が神道問題だと思うんです。ここはいい、これは駄目なんだと、その時にはっきり決着を立てると。ですから、仏事という形はとっておるんだけれども底流にあるのは神道の問題が強いわけです。
    他にも、お葬式の時に清め塩が出るとか、精進だと言えば肉を食べないんだと、そういうような事は一つの浄化食になっておるんです。亡くなった者は死に穢されておると。だから追善回向という事はあるんだけれども、我々が一つ浄化食を食べることによって浄化を促進すると。精進というのは浄化食だと、民俗学ではそういうふうに受け止めておるわけです。それ程に深く日本人の体質の中にあるんです。死を忌み嫌う。その中で、そうではなくて、死から始まる、死すべき生をどう生きるかからスタートするのが仏道なんです。
    そういう中で、念仏者、門徒はどう生きるか。』とも言われておられます。

  6. jyoukouji より:

    *>清め塩の意味と精進の意味が、混同。
    そもそも精進は「一心に心をつくす(国語辞典)」つまり信心の構えをあらわした言葉ですがこれが宗教的形態となると
    神式・仏式2つの教えの2つの意味が存在します。
    (竹中先生講義より)
    『精進潔斎と仏教では言います。禁忌に対して「忌」お布施と同じで、「施す」という事を言うわけです。その具体的な「施し」が「斎」となるわけです。死を穢れとして忌む、つまりしてはいけない事が、縁のある者が潔斎をする事によって、その死の穢れを浄化すると。その浄化するという意味と、この「忌」が重なっておるわけです。だから「忌」というと、それはしてはならん事だと言うて否定的にだけいうていますが、積極的には「斎(施し)」です。

    そういう意味では、「忌」というのは単に神道と言うよりも、仏法に於いても、縁の深い者が亡くなった日にはその徳を謝すと。だから他の事を全部止めて、それに終始して徳を謝すと。それが「忌」という事だと。それはさっきも言いましたように、仏教では徳を謝するという事なんですけれども、それが神道になると死というものを穢れと言うてしまうから、その死を除く為に潔斎するんだと。これが身近なところでは、精進していくと、肉を食わないというのは精進なんです。神道でいう精進というのは亡くなった者の穢れを浄化していくんだということです。だから「忌」というのは、唯何もしないんのではなしに、積極的には「斎」なんだと。だから「忌」と「斎」は同じ、両面の意味があるわけです。

    だからといって我々真宗門徒は「物忌みをしない」というて、
    「年忌」の「忌」は神道用語だという事で、「忌」を使わないで「会」にするとか。それから「命日」と言われる場合の「命」を、確かに蓮如上人は、「御文」に「御明日として」という字を使っておられます。

    しかしそういう時の「忌」というのは、存覚上人が言われるような、仏典においても、讃嘆していくとか、思い起こして本当に報恩していくという意味もあるんだというところを、きちんと言うておく必要がありますね。そうでないと、一般的に言えば「忌」という字だけで、忌み嫌うという事になってしまいますから。』

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